大いなる無駄

好奇心のおもむくまま、たゆたう日々を。

年の功

先日、とある海外派遣の一次選考に参加しました。

こういう試験はこれまで何度かチャレンジしていて、毎回残念な結果に終わっていました。

やはり不合格の烙印ってつらいのですが、それよりも思ったように話せなかった…とか緊張しすぎてうまくたちまわれなかった…とか

自分のふがいなさを痛感することが何よりも堪えていたように思います。

 

そんな私が今回感じた、というか書き記しておきたいなと思ったこと。

 

応募者には幅広い年齢層の方がいたのですが、この場にいる人に共通する気持ちが"外国語を使って働きたい"ということ。

ライバルだけど、私は少し嬉しくもありました。私が目指している方向に向かっているのは自分だけじゃないって思えたからです。

 

面接がグループごとで、日本語と外国語の二回行われました。他の志望者の発言も聞けてしまうんですよね。必然的にレベルが判明してしまいます。

まだ学生でこういう場は初めてだったんでしょう。外国語の面接で言葉が出なくなってしまった子がいました。何か言わなきゃ、でも言葉が出ない。どうしよう。他の人たちはみんな、ちゃんと話せてたのに…って彼女の思考が手に取るようにわかりました。

だってその感じ、私知ってるもの。

 

試験が終わった帰り道、彼女と一緒に帰る流れになり、いろいろお話できたのですが、その子はぽろぽろと涙を流して今日の反省をしていました。

「やってみたいなって軽い気持ちで応募したけど、自分のダメさを思い知りました…」と言うのです。

もう!!私は10年前の自分をみているようで他人事には思えませんでした。

 

学生時代私が最も苦手だったことは、人前に出て発表すること。自己PRって言葉も嫌でした。自信がなくて、そのくせプライドも理想も高くて自己嫌悪の嵐の学生でした。

でも何かしなくちゃって焦りから万博ボランティアをしたり、ロータリー財団の交換派遣留学生に応募したり、やりたいことはチャレンジしてたくさん失敗も恥もかいてきました。

だから涙を流してる学生の気持ちはすごくわかるのです。

こうありたい自分と、そうなれていない今の自分。

でも、こういうのって回数だなと思うんです。

何度も面接して、何度も失敗してまたがんばって次の面接。そんな感じで否が応でも場慣れしてきた自分がいます。 

それに学生の時はたくさん失敗するべきだと思うんです。今でも私は失敗だらけですが、

社会に出ればいろんな人と一緒に仕事をしなければいけないので、自分の至らなさにぶつかりながら進んだ結果、いやでも図太くなります。 

とはいえいまでも人前は苦手ではあるし、緊張して震えるんですけど。

 

外国語もずっと勉強していれば、あるときふっと視界が広がるような瞬間があります。私は10年もやっててこのレベルか…と虚しくなりますが、だらだらのんびりながらも、ずっと続けてきたことが私に自信をくれています。

そんなことを今回彼女のおかげで気づくことができました。

 

選考の結果は一次は合格、2次で落ちてしまいました。無念…

でも過去の自分に少しは胸を張れるような気がします。

成長してますよ、と。

 

年を重ねると気持ちが図太くなれたり、まあしゃーない!って開き直れたり、気持ちの落とし所や自分の扱い方もわかってくる。

大人になるのも悪くないです。

 

 

 

 

笑いの壁

笑いを共有するのは難しい。

可笑しさには、視覚的なものと言葉のニュアンスで面白いと感じるものの二通りあると思う。

 

目で見えるものは共有しやすい。

しかし言葉のおかしさは、長年その言葉を使い親しんだものに限定されてしまう。

 

これは7年前、カムチャツカに留学していたころの話。

現地の友達とロシア語で話していたが、
何が可笑しいのかわからないことがよくあった。
単純に話している言葉の意味が解らないときもあるが、
言葉の意味はわかるのに、その言葉の向こう側にあるおかしさには届かないのである。
生きてきた文化が違うのだから仕方がないのだが、
これは随分と寂しいものだった。


けれど、初めて一緒に大爆笑できた出来事があった。
まだ留学生活2ヶ月目くらいだった私にとってとても嬉しいことだった。


まだ雪が積もっていた寒い4月のこと。

バス停で友達4人でバスを待っていた。
他愛もない話をして、なかなか来ないねぇといいながら車道を確認していたら
ジェーニャが何かに気づいてさらりと言った。


Ой посмотри!Красная шапочка идет!
(ねぇ見て、赤ずきんちゃんが歩いてる!)

 

何のことかと思って反対側の歩道をみると、真っ赤な帽子をかぶった小柄の老人が歩いていた。
服は控えめで質素なのに、彼の頭の上には目を見張るような深紅の赤い帽子がのっかっていた。

そう、かぶるというよりのっかっていたのだ。
しかも彼はこちらに向かって車道を横断して歩いてきている。
ちょうどバスが来たところだったので軽く小走りしてくる。

私の頭の中に子供の頃からイメージしていた「赤ずきんちゃん」と
今目の前にいる「赤ずきんちゃん」との相違がたまらなく可笑しくてふきだしてしまった。

先にバスに乗車した私たちは、乗り込む赤ずきんちゃんから目をそらしうつむいた。
老人に気づかれて気分を害してしまったらいけないと思ったからだ。

ジェーニャの「Красная шапочка идет」が
私の頭の中でリピートされ、反対側に座った老人に何度も目をやってはうつむいた。


どうしてこの帽子を選んだんだろう。
しかもデザインがなんとも形容しがたい。
決して奇妙な形ではないけれど、よくよくみると変わっているのだ。
浅めのホールケーキの上にもう一つ小さな山を盛ったような。
しかもこの生地、フエルトっぽい毛羽たち加減がたまらなく笑いを誘う。
灰色の雪景色の中で、彼の赤は刺激的だった。

バスを降りてから笑いを我慢していた私たちは大爆笑して、
その後しばらく「Красная шапочка идет」は私たちの中で流行語になった。

 

ささやかな出来事だったが、ジェーニャが可笑しいと思って言った言葉を正しくくみとれたことが嬉しかった。
老人の視覚的効果が大きかったけれど、単純に「あのおじいさん赤い帽子かぶってるよ」ともいえたところを
赤ずきんちゃんがやってきたよ」といったジェーニャの笑いのセンスが理解できた気がして嬉しかった。

 

言葉は生き物だ。
外国人の私にとって完璧な習得なんて到底遠い目標ではあるけれど
言葉の向こう側にある文化を理解する努力はしていたい。

笑いの壁を越えていきたい。

 

神聖なる一族24人の娘たち

秋。

文化の季節です。

本日は、定期的にチェックしているミニシアターのHPで、新しいロシア映画の情報を掴み、観に行ってきました。

 

「神聖なる一族24人の娘たち」2012/ロシア

 監督:アレクセイ・フェドルチェンコf:id:chaikafeb14:20161107214819j:image

 

舞台は、モスクワから東へ600kmに位置するマリ•エル共和国。独自の文化と言語を保ってきたマリ人の名前が"О"から始まる女性24人に焦点を当てた不思議な映画でした。

 

キャッチコピーにはタルコフスキーソクーロフ、ゲルマンに次ぐ新たなる鬼才とあります。

三者とも私には難しく、語れるほど解せず、しかし映像は確実に脳裏に残させる巨匠たちで、確かに本作もなかなかに容易くはありませんでした。

ただ、大きく違うのは妙にポップであること。

映像ひとつひとつが雑誌の1ページのようにスタイリッシュでかわいいです。

あ、このミトンかわいい!とか、その刺繍いいな!とか、花冠で佇む姿とかもう壁にポスターにして飾りたいよ!っていう乙女心をいちいちくすぐるものでした。

内容としては、とりとめなく24人の女性の暮らしぶりが描かれているけど、往々にして恋をしているので性がからんでいます。

生と性はひとつなぎで、呼吸するように当たり前のようにそこにあるもの、ということを証明するように欲求に対して素直でした。

圧倒的な自然を前にあまりにも感覚的本能的な彼女たちの姿と、ロシア民話の要素を織り交ぜた不思議な雰囲気は、なんとなく懐かしく感じました。

子供のころ読んだ絵本の世界のような、森の中の魔法の物語という感じです。

ラストシーンにああ、やられたと思いました。

世界に、平和を!

 

女性が笑顔でいられる世界でありますよう、願ってやみません。

 

http://24musume-movie.net/intro.php

 

 

 

ロシア語と私

ロシア語を勉強しています。

学生のころから第2外国語で始めてから、10年。

留学していた充実期や、ロシアと全く関係のない仕事で働きアリだった忙殺期、恋愛にかまけていた休学期ありの10年。ゆるゆるです。

ちっとも上達しやしません。

それでも私なりにロシアを追いかけてきたことをメインに、

気まぐれではありますが書き連ねていきたいと思います。

 

 

自分でもどうしてこんなにロシアに惹かれているのか説明できないでいます。

勉強したところで仕事に使うわけでもないんです。

 

なのにロシアは私が離れようとするたびにチャンスをくれたり、刺激をくれたりして引き戻す…もはやなかなか別れられない恋人のようです。

 

やればやるほど壁にぶち当たるロシア語。

格変化多すぎるし、完了体不完了体ってアスペクトでこんがらがります。

ネイティヴと話せばスラングボキャブラリーの多さに辟易するし、ニュアンスを掴むことが難しい…

そもそも彼らは概念を外国人に分かってもらおうなんて思っていないのだろうけど、

時折垣間見える閉鎖的な優位性に悔しい気持ちを噛み締める。

国語学習のジレンマなのか!?

 

けれどときどき「こういうことか!」と合点がいく瞬間があります。

その瞬間の喜びは形容しがたいもので、頭の頂点からつま先までしびれがくるような、なんとも言えない快感が全身をかけめぐります。

嗚呼、私はこのはかない喜びを感じたいがために、ゆるゆるとロシア語学習を続けているのかもしれません。

 

 途方もない無駄をしているのでしょう。

人生かけて無駄をしつくしたいと思います。

 

なので、大いなる無駄。ふふふ

 

 

 

 

 

悪人正機

今週のお題「プレゼントしたい本」

 

本が好きです。

この一冊の中に自分の知らない世界や物語があるのだ、と思うとドキドキします。

自分が生きている間にどのくらいの本に出会えるだろう、世界には溢れるほど本があって絶えず新しい作品が生まれている、とても追いつかないや、でも追いかけたい、そんな気持ちでいる本の虫のひとりです。

 

以前知人と本の話になったときのことです。

彼はバリバリ働くビジネスマンでした。

彼は言うのです。

「役に立つ本が読みたいな」

私は返事に窮してしまいました。

 

「役に立つ」って何だろう。そのフレーズは私にもやもやとした違和感を与えるものでした。

その場は話題が他に移り私の回答は流れてしまいましたが、私の中でその違和感は流しきれないまま、ざらりと残ったのでした。

 

いま、そんな彼にこの本をプレゼントしたいです。

悪人正機」  吉本隆明 糸井重里

 

彼にとって「役に立つ」かはわかりません。

ただ彼の物事の見方に、ちょっと衝撃を与えてくれるのではないかと思います。

私は読んでいて気持ちよくなったので、誰かに勧めたいなと思いました。

人生相談という形をとりながら、テーマごとに吉本さんが語るという形式で、授業を受けているような気持ちで読み進められます。

世間でよしとされていることと真逆のことを言っている件もあり、ハッとする思いにもなりました。

例えば《自己評価よりも下のことだったら、何でもやっていい》という"「素質」ってなんだ?"の章。

自分のことを見かけ以上に偉いみたいなふうに思いこんで振る舞うと上手くいくものじゃない、と。

これには私も思い当たる節があり共感するものでした。

八分目くらいがちょうどいいんです。

100%、120%の力でやろう、やり続けようとするとどこかで無理がきて失敗するんです。

あそびをもたせて八分目。

それは私が公には言えずにいたことだったので、「そう思ってもいいんだ」とお墨付きをもらえたような気分でした。

だって上に向かってがんばってる風にしていたほうが、世間は好意的ですから。

 

まだまだ私は考えてしまいます。

「役に立つ本」ってなんだろう。

とりあえず読まないことには役に立つかどうかはわからないんじゃないかな、と彼に言いたいところです。

この本が彼の「役に立つ」ことを願って。